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私的詩的感情の泉


by milkmuffin
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変遷

それから月日が流れ・・・
子どもたちが小学校へ上がって数年が過ぎ。
私への暴力や物に当たる行為が絶えなかった。
下の娘は見ていたけれど、はっきりは覚えていないという。
上の娘ははっきりと覚えているという。

原因は、はっきり覚えていないが
とにかく何かにいつも彼がイライラして
ことあるごとに文句を言われ、言い返すと怒り出した。
私たちは3人で身を寄せるように仲がよく
何処に行くにも一緒だった。
子どもたちには寂しい思いや、嫌な思いはさせたくないと
私は休日になると、色んなところへ出かけ
一緒にいろんな景色や感情を共有した。
横暴で身勝手で暴力的なお父さんを怖がっていた。
その中で、私がうまくフォローして、
お父さんを讃えたり、敬うようなお話をしていれば
また違ったのだろうけれど
私は彼を愛してもいなければ、夫としては最低で
父親としても、何も育児をしない父親だと思っていた。
私にも妻としてダメなところや不満がたくさんあったろうけれど。

TDLには毎年たくさん連れて行った。
私たちはTDL大好き(笑)。
彼は行くはずもなかった。
長時間並んでいられるはずもなく、無理だった。
お店に入って、注文したものが遅くてかなり待たされた時
お店で大声で叫ばれたこともあった。
恥ずかしくても二度とそのお店にはいけなかった。
若いからではない。血の気が多いとかそういうんでもない。
気性が激しいのでもない。
思い通りにならないとキレたり、反抗すると暴力を振るわれた。

それで、「別れたい」と何度も言った私。
でもその度に、キレて、家出。
夜通し帰ってこない日もあれば、すぐドアをどんどん蹴って
ドアや物にバンバン当たりながら布団にもぐりこんでしまう彼。
どこに泊まったのかなんてどうでもよかった。
こんな夫を愛している女性がいるなら差し上げるなんて思った。
「またお父さん、出て行ったの?」
「そのうちに帰ってくるわ」
「ばかみたい」
そんな彼女たちの反応。
私は虚しくて心が寒かった。
こんな思いをさせているのは私たち夫婦。
彼女たちは天使のようにイイコなのに・・。
ごめんね。ごめんね・・・。涙が情けなくて溢れた。

いつだったか・・・一度、
めちゃくちゃに言われて、言い返して、言い返され
叩かれ殴られ蹴られて、ぼろぼろになったことがあった。
それで、「私別れて」と懇願した。
彼はさらにキレて、暴力を繰り返し、家を飛び出した。
3日。帰らなかった。
その間に、義父の兄が泣くなり、お通夜もお葬式も出られなかった。
それで、義父や義母にも不信がられ、
私たちがうまくいっていないことがばれてしまった。
私は全てを話した。でも彼の両親は彼の味方・・・・・

(泣)

つづく・・・
# by milkmuffin | 2006-02-19 21:24

流浪

私の人生はわたしのものだ。
一度きりしかない。

ならば楽しもう。
そう思えて吹っ切れてきたのは
だんだん娘たちが成長していく日々の中で漠然とだったけれど
確実にそういう想いが生長したから。

浮気は続くわけでも
続いていても気にはならなくて
どうでもよいことになった。
彼を愛していない。。もう愛せないと思った。
でも、私は私。
子どもと自分の時間を大切にできた。
自分を見失わずに生きてこられた。
流されても躓いても負けない。

また詳しく書きたい。
でも今、言えるのはこんなこと。
# by milkmuffin | 2006-02-11 21:45

決断

無情に時は流れた。
流れていく日々。
子どもたちは成長していく。
私と彼は何事もなかったように
必要なことだけを会話していた。

変な行動
不信な行動
そういうものはノートに日記としてつけていた。
そういう行動も一年くらいで納まった。
彼にお金がなくなった(笑)。
仕事も忙しくなり時間もなくなった。
私や娘たちが居ては
独身貴族にはもうなれないんだー(笑)。

私は仕事に復帰する時期が近づき
娘たちをまた義母にあずけようとしたが
言われた。
「私は自由が欲しい」
これは名言だった(爆)。
きっと次女が長男だったら預かってくれたと思う。
義母は義父が退職し
あちこち旅行に行ったり、老後を楽しみたいからと
二人目を預かる意思がないことをはっきりと私たちに告げた。
恨んではいない。
それもそうだと思った。
それにふたりは体力的にも大変だろう。


私はしばらく保育所を探したり
いろいろ考えた。
実の母にはとてもめんどうはかけられない。
体力的にも義母より年が上でもっと無理。
自分の力で育てたい。
寂しい思いはさせたくない。
でも、せっかく正式採用された職場で責任もあったのに。
辞めたくない。
いろいろ葛藤があった。

そうして出した答え。

自分を生かせる夢のような職場を放棄して
自分の宝物の娘たちを選んだ。

それは今でも決して後悔していない。
自分で決断した。
間違っていなかったと思う。
# by milkmuffin | 2006-02-05 21:27

詰問

私はなにかの拍子に
彼の行動や物言いにカチンと来て
心で我慢していた感情があふれ出した。

もうどうでもいいことだけど
別に気にしてないけれど
・・と自分に言いながら彼に話の口火を切った。

「あなた。浮気してるでしょ?」
想わぬ言葉が自分でも出た。
単刀直入。
直球を彼に投げた。

「・・・・・・・」
彼は血相を変えた。
一瞬だったが
私の目ははっきりとそう感じた。

浮気なのか?
とにかく、車のダッシュボードの中に証拠がある。
私は彼に詰め寄った。
「ごちゃごちゃ騒ぐな!」というようなことを彼は言った。

その避妊具の使用の用途は
自分でするために使うとか
訳のわからないことを言ってみたり、
浮気をしていないの一点張り。

私は、否定し続けた彼を今はよかったと思っている。
あの時、誰とどういう関係にあったかを
聞かされていたら
ここにはいなかった気がする。

ラブホに入るとか出てくる写真のような
絶対的な動かぬ証拠があっても
何もなかったと言い切ったほうがいいのだと
漠然と思った。

隠れてするのはかまわない。
見てみぬ振りはできない。
見えないように上手にしてくださいと
その時は思った。

もう完全に夫として愛せなくなった。
男性として必要なくなった。
心の絆なんて、始めからなかったのだと思った。
体だけの関係の女だろうとは想像ができた。
遊びかもしれない。
でも、嫌悪感はつのった。

彼と同じベッドに眠れない。
睡眠不足と、ストレスで、乳腺炎を起こし
高熱が出て、医者に診てもらい寝込んでしまった。
私は、上の娘とダブルベッドに寝て、下の娘はベビーベッド。
彼は隣の部屋で、ひとりシングルの布団を引いて寝るようになった。
それはお願いしたから。
上の娘の赤ちゃんが帰りもあったし
いい口実になった。

今、思うと
本当に苦しい日々だった。
ただ、ふたりの娘だけが私の生き甲斐で
宝物だった。
自分に経済力があったら、家を飛び出していただろう。
あの時、勇気も気力もなかった。
若かったのに。
なんでできなかったのだろうと思う。
# by milkmuffin | 2006-02-05 21:13

嫌悪

それからの私は
彼を嫌悪してしまうようになった。

私が。。
彼を放任して、何もお世話もせずに
のほほんと暮らしていたのなら解る。
許せるかもしれない。
遊びでも何でも・・
でも、違う。
私は必死でふたり目の赤ちゃんを守った。
長女も、幼心を健気にがんばって耐えてくれた。
寂しくても病気になってしまっても。
私と赤ちゃんとパパとママが暮らせる日を
我慢して待っていたのに。

え?
え?
あなたはウワキしていたの?

信じられない。
ありえない。

でもありえないことじゃないのかも。
一年以上も、妊娠してから、
流産しかけで始まって、産むまで怖くて
そういう夫婦生活はしてなかった。
だから、仕方がなかった?
その次女が生まれてから一年もたっていなかったから
・・というだけではなかったけれど
拒否気味だったのは申し訳なかったと想った。
だけれど・・

彼が信じられなかった。
不信感ばかりがつのった。
もういっぺんに情愛も消えた。

誰と?
どんなふうに知り合って
どうなってるの}
って聞けるはずもなかった。

でも、あまりに続いたある日のこと・・・

・・・つづく。
# by milkmuffin | 2006-02-04 23:44